劣等感が無くなった頃にはおじさんと化した
冬季連休があっけなく終わった。
また仕事に揉みくちゃにされ、消耗する日々を過ごしている。今日も22時ちょい前に退勤しました。
無理。
年末年始は旧友とは誰とも会わなかった。
大学の友人からの誘いがあったものの、どうしても外せない予定があり断った。
友達がいないせいか(←突っ込んでくれ)全く遊びの誘いはなく、僕も敢えて連絡を取らなかった。
はっきり言えば、会社を辞めることを言い出すか言い出さまいかみたいな状況で、友人と集まって食事をするエネルギーは残っていないんである。
どこまでも根が暗い。
そうして年末年始をぼーっと過ごしながら、仕事に揉みくちゃにされた2018年を思い返していた。
2018年は節目の年だった。ちょうど10年目の。
どういうことか。
アラサーにもなって今更文章にするのは恥ずかしい内容だが、敢えて記しておきたい。
*1
2018年から遡ること10年前、2008年は私が高校受験に失敗し、滑り止め高校に進学した。
当時としては、強烈にダークな年だった。
北京オリンピックはどうでもいいと思えるくらいに。
15歳の私にとって、高校受験は初めて社会的な選別による挫折だった。
その結果今の私にどのように影響を与えたのかというと、雑に言えば「安定志向」を強固にしてしまった。
一部の起業家は、「敷かれたレール」を確実に歩み続けるような、"手堅い"と思われる生き方を信仰する人間を哀れに思っている節が見受けられるけど、
そういう人間は僕を含めていきなりそんな人間になった訳ではないんである。
得意ではない勉強を一定の強制力*2の補助の下で3年間乗り越えられたのは、単なる「将来不安の解消」という動機以上に、地元公立校の受験に失敗したというスティグマを消すという目的が大きかった。
恩師に自分の未来のための努力の重要性をどれだけ説かれても、
「自分が周りの高校生より不遇な立場に置かれているのだから、その分のリターンを大学受験による成功で取り返さなければいけない」
というひん曲がった認識でしか動くことができなかった*3
周りを見返したいという泥臭い動機を無意識的に否定したかったのか、受験勉強の中で特定の学問分野に興味を持ったかのように私は勘違いし、現役時は生物学系の受験校を選んだ。
狭い視野の中で1番興味があったから。
で、滑り止めも含めると、一浪目は薬学・医療系、なぜか工学。色々あって入学した工業系大学をすぐ辞めて目指したのはまた生物系。
そして、センター試験失敗したら医療系に転換、
そして滑り止めは情報学…と。
自分でも書いてて訳がわからない。軸が無さすぎて本当に頭がおかしい。
まぁ、それに気づけなかった。
元々低かった自尊感情が高校受験の失敗で更に低くなり、勉強漬けの生活の中で
劣等感の克服・承認欲求の回復を動機として行動する癖を付けてしまった。
はっきり言って、学習の動機としては最低なんじゃないかとさえ思う。
無趣味で知的好奇心も弱く、彼女を作れるような甲斐性はない顔も良くない、性欲と承認欲求だけがある終わった高校生が、どうしていたらまともな人生を歩めたのか。
歳を取った分救いがなくなった私は、社会人となって街灯もろくにない真っ暗な田舎道を帰りながら、
「どうしていたら良かったのか」と何度も考えても答えは出なかった。
前置きが長くなったが、今から言おうとしていることは察しがいい人なら分かるかもしれない。
要は、「アンテナを広げる時間を作るべきだった」という後悔がある。
承認欲求を満たしたいためにガリ勉する前に。
昨今マスメディアではAI導入による技術的失業の不安が喧伝されている。
加えて、正社員に求められる能力水準は昔と比べ物にならないくらい上がり続けるような時代だ。
職業選択の自由がある本邦において、人生の早い段階で自分の職業適性を認識する重要性はめちゃくちゃ高まっていると思うのだ。
もちろん「本当にやりたいこと」と、社会が求めている仕事の中で「自分ができること」には隔たりがあり、どちらを重視して人生選択をするかはキャリア形成での永遠の論争となっている。
今やアラサーになった私に限って言えば、もうこの年齢で「向いている仕事は何か」を探すつもりは全く無い。
元々今の仕事も本気で「やりたいこと」ではなかったし、周りに比べて「できること」でもなかった。
だけれど「まぁ頑張ればできるだろう」という適当な気持ちで今の職種に就いてしまった。
学生時代にアルバイトなどをして、今の職種への適性を確かめていた訳ではなかったから、見込みが甘すぎた。
とにかく、トラディショナルジャパニーズカンパニーの風土は恐ろしくて、
「企業戦士」としてコミットメントを求められる状況で、適性がない仕事をやり続けるのは相当の覚悟がないと無理だ(当たり前です)
単身で生活する若手社員は、仕事以外にも社内イベント準備や飲み会幹事等でプライベートは潰れる。
6割くらいのエネルギーでもまともなアウトプットが出せるかどうか、そういう問いを自身に向けるべきだった。
しっかり先輩がフォローしてくれる職場、真っ当な労働環境、個人に負担を押し付けない企業体質、それらが揃った職場で働くならば誰だって苦手なこともカバーできるだろう。
しかしそんな職場は稀なのかもしれない。
教育体制がない環境で先輩のフォローが無くても、自分なりに動いてサクッと結果が出せる。少なくとも1年働き続けても周りの先輩にフォローしてもらってもなお、少なくない頻度で叱責を受けるほど「センス」が致命的ではない。そういう仕事が理想である(気づけば自己紹介になっちゃった)
ブラックとは言わないまでも、グレーな職場が大半を占める日本企業で何十年も働き続けるには下記の条件を最低1つは満たさないと厳しいという結論に至った。
1.守るべきものを持つ
(象徴的な表現だが、要は家庭を持つ。理不尽があっても絶対に働き続ける強固な理由になり得る)
2.平日のストレスを吹き飛ばせる趣味を持っている。
3.「向いている仕事」とは言わないまでも、平均以上の業務適性がある仕事をしている。
僕は上の条件が全く当てはまらなかったのに、辞めたいと嘆きながら退職者が出まくる会社で1年働き続けてしまった。
決して高い職業意識があった訳ではない。意地と忍耐と惰性だけ。前の2つだけは自分でも褒めてやりたい。
しかし、「忍耐」なんてものは会社員ならみんなやっているので評価なんかされないんである。
以上を踏まえて、これまでの短い会社員生活で得た教訓は、
「向いていない職種・キャパオーバーとなりそうな職場は全力で避ける。そうでないと死んでしまう」ということだけだ。
向いている仕事を無数の仕事の中から探すほどの時間は残されていない。
「向いていない仕事・職場」をできるかぎり除外し、「マシ」な領域の仕事求人をおそるおそるチェックしている。
「我慢」しか売り物にできなかった人間の末路は厳しい。高校生の頃の僕に言ってやりたい。