愚痴は書きません

1mmずつ動くダメ会社員

2年前の就活(その2)

前回の記事はこちら

就活の黒歴史をインターネットの海に放流する作業を台風にビビリながらやっていますが、この30分で2回停電して今も停電中です(23時36分)
エントリー書き終わったら寝ます。

 

2016.09.07 水

今日は午前10時半から○Wサービスの最終面接、午後15時から○ターインフォ○ックの最終面接だった。
午前の面接は、前回は会社最寄り駅まで人事の人が車で迎えに来てくれたのだが、今回は刈谷市の公共バスで来いとのことだった。学生にアクセスの悪い会社に来てもらうなら送迎くらいしてくれよと思った。
9時45分に名鉄小垣江駅に着き、9時50分発のバスに乗り込むと前回の面接で一緒になった南山大のSさんがいて挨拶した。
一昨日、昨日と連続で面接を受けて疲れているのに、Sさんはガンガン話しかけてきて疲れた。
よく喋るなぁと思いながら、適当に聞いているように思われないよう、相槌を丁寧に打って降車するバス停まで早く着けと願っていた。
Y中学前のバス停で降り、暑い中とぼとぼと会社まで歩いた。会社までの間、ひたすらS田さんはこの前一緒に受けた面接をひたすら分析して「~というように話せば良かったですかねぇ?」と話してくる。
暑い中こんなに話しまくる人間を初めて見た。引きつった笑顔を作りながら、大量の汗を流して私は会話を続けた。もう帰りたい。
 
会社に到着し、交通費の受領をした後にすぐ面接が開始された。アイスブレイクとして、趣味の一眼レフの話やアルコール大丈夫かなどの質問が出る。そして、定番の志望動機などの質問をS田さんと交互に話していく。
Sさんはバイトで物流関係のことをやっていたらしい。前に面接を受けた時にそう話していた。
「へぇそうですか」という感じだったが、私は「すごいね!人事に興味を持ってもらえそうじゃん!」とヨイショした記憶が蘇る。私に話してくれた内容を目の前でSさんが話し終えた。次は私の番だ。
 
物流関係の企業を受けているのに、物流と関わる自分のエピソードが殆ど無く、適当に自分ででっちあげた。
大学で書店のWebシステムを作るケーススタディをしたときにデータの流れと併せてモノの流れも考える必要があり(当たり前やん)、そこで物流に興味を持ったと話した。
だいぶ苦しい。
印象が弱いなと思い、これまで就活で受けてきたIT企業と同様に、物流も企業活動の根幹を支えていることに魅力を持った・・・などと殊勝なことを言った。志望動機以外には、自分にとっては定番の質問である「2浪したこと」についての話をされたが、適当にかわす。
 
役職者のおじさんからは「物流企業なのでIT知識をフルに活かせないけど大丈夫?」と聞かれた。
自分に活かせるようなスキルは付けてこなかったよ・・・と言いそうになったが、
「仕事以外でもIT知識は使えるし、ムダになると自分は捉えていない。それでも物流企業で働きたい。」と回答した。そう答えるしかない。40社受け続けてやっと得たコミュニケーション能力がこのレベルだ。
茶番を茶番と意識しつつも確実にこなす。"普通の人"がやれることを傷だらけになって修得した。
貴重な学生期間を半年以上費やしてこんなことをやっている自分をどこか冷めて見ていたけれど、
それでもこの時は必死だった。簡単に負けたくなかった。
 
役職者のおじさんは私が提出した成績表に目を向けながら、「こんなにITの勉強をやった人が、専門の会社に行かずに親会社の気性の荒い人に叱責されるような仕事に巻き込んでいいのか不安なんだよ。」と神妙な面持ちで言った。最終面接で自社を卑屈に語る社員は初めて見たぞ・・・と思いながらも、たとえそんな仕事でも
新卒の3年離職率がゼロなんだからいいやんと思ってしまった。
 
面接を終えて、Sさんと帰る途中は行きよりも自然に会話できた。お互い開放感があって話が弾んだ。
しかし、Sさんから午後の予定を尋ねられ金山で一緒に昼食をとらないかと提案された時とまどった。
午前の面接で疲労したのに、またご飯を食べながら気を遣うのかと思ったが、断る勇気が無くOKした。
電車で移動中もSさんは相変わらずお喋りだったので、金山に着くまで寝ててもいいっすか?と言って
やっと大人しくなった。その後金山で油そばを食べて別れた。
 
 
15時からの最終面接では変化球な質問が来た。
「情報社会学科」ということだけど、"社会"についても学んでいるの?
ギクッ!!としながら、私は「元々人文系学部にいた教員も多くいるので、情報を切り口として社会学・経営なども学びました」と答えた。
面接対策で想定はしていた質問だったが、よりによって最終面接で来るとは。
役員らしき人からは「具体的には?」と突っ込まれる。ERPを有効活用できる欧米型企業組織と日本企業の違いについてしどろもどろに答えて煙に巻く。するとそれについて君はどう考えるか、と言われた。
そこまで深く学んでねーよ!!と思いつつ適当に答えた。
その後、やっぱり「2浪について」と「痩せてるけど体力あるの?」などと聞かれた(体力あると思って面接に呼んだのか?)
 
今振り返ると、イレギュラーな質問は前半だけで、あっさり面接は終わった。
帰宅後、ソファーで18時45分くらいまで寝ていた。起きてスマホを見ると、着信履歴があった。
TVの音量を下げて電話をかけると、午後の面接の結果連絡だった。
人事のSさんに「内々定です。おめでとうございます。」と言われたのに、喜びより安心した気持ちの方が強かった。お礼を言って電話を切り、母さんに報告すると私より喜んでいた。
40社近くエントリーしてやっと内々定。思うところは色々あるが、この辺で日記は終える。
 
【就活を振り返ってのコメント】
2016年7月の終わりごろ、企業選考に新規でエントリーするのはやめた。
理由としては3つある。
1:体力気力の限界
2:この時期に募集をかけている企業は何かしら訳がある(ブラックも多い)
両親にそのように伝え、持ち駒の企業に全部落ちてしまったら来年度公務員を受検すると決めた。
面接で20社以上同じ系統の企業を受け、対策を重ねているのにも関わらず引っかからなかったのはもう適性がないということしか考えられなかった。

両親も就活当初は心配をしていたが、9月ごろになると「もう好きにしろや」という感じであった。
それは前向きな意味での受け入れではなく、人生への諦めに近かった。
高校受験、大学受験ともに失敗が多かった人間が、就活だけすんなり上手くいくはずが無いという無能さをようやく受け入れられるようになったのかもしれない。
当時からこんな人間がまともに企業でやっていけるのかと思っていたし、
事実として現状死にそうになっているし。
それでも当時の日記を読み返すと、ダメなりに就活に取り組んでいる姿勢に感じ入るものがあった。たとえその結果が今の激務企業勤務に繋がっていたとしても。
 
結局、最初に内々定をとった会社は辞退し、後に面接を受検し今の勤務先を内定承諾した。
最初の会社にそのまま承諾していたら今頃どうなっていたか、などとたまに考える。