愚痴は書きません

1mmずつ動くダメ会社員

辞める日のこと

まだ半年以上先になるけれど、退職予定日を自分で決めた。
上司には話していない。
言われても半年以上先だから困るだけだろう。

きっかけは激務が始まってから僕が足繁く通っているマッサージ店のお姉さんの言葉だ(※1)

お姉さんには会社の愚痴を話したことがあり(女々しい)、
先週はメンタルが特にダメになっていたので泣き言を言ってしまった。

そのときに、彼女は物腰は柔らかくも芯のある声で「自分で変わらないと何にも変わらないんじゃないですか?」と諭してくれた。




今年1年で仕事を辞めたいという相談を結構な人にしたけれど、そこでよく貰ったアドバイス
僕の仕事への姿勢・考え方・タスク管理能力の問題が大きいというものだった。

いつか日記にも書いていたけれど、1月の連休を潰して受けた転職の面接でも同じことを言われた。

「仕事への責任感を持ちすぎてプレッシャーになっているんではないですか?」

「タスク管理能力の向上しかない」

悔しいけれど、確かにそうだなと思って1月の面接の不採用通知を貰った後は、愚痴を吐きつつも3月まで残業50時間オーバーの日々を乗りきった。

主担当として目の前の仕事に向かい合って取り組むことで、今まで見えなかった情景が見えてくるのではないか。

そのときはようやく社会人1年目が終わろうとしている頃で、SNSで愚痴るわりには殊勝なことをぼんやり考えて3月まで乗りきった。
理不尽な叱責もあったけれど、それなりの成長・実績ができたと思う。


一方で、今の会社の社風では仕事一筋で生きる昭和のサラリーマン人生を強いられることが分かった。

僕は実家の介護問題に対応しなければいけないが、
今の仕事を両立する能力と気力は僕にはない。

上司は人事考課の度に「自分が2年目の時にできていたかと言われれるとできてなかったし、言うのは心苦しいんだけど…」と前置きしつつ、
もともと5人で回していた仕事を3人で回す要求を僕にし続けてきた。それも人員不足のまま。

毎月全力疾走のような状態だったのに、最近では仕事への要求も過度に上がってきた。

ふと振り返ると、仕事でお世話になった他の部署の中堅クラスの方々(20代~40代)が片手で収まらないくらい休職・離職していた。
全社的に組織がガタガタになっている。

「タスク管理能力の問題」
「忍耐強くないから」
「どの仕事も忙しいし、それは転職しても変わらんよ」

いつからか大人(?)になって ″人生相談″をしなくなった。
話すことで気持ちの整理をつけられるということはあるけれど、事情を知らない人から慰められることを期待して愚痴をこぼし、上のようなコメントを貰うことを繰り返したくなかった。


前置きが非常に長くなったけれど、
マッサージのお姉さんに「自分で変わらないと何にも変わらないんじゃないですか?」と言われたときに彼女の真意を汲み取れなかった。

物腰は柔らかくなるよう努めたけれど、怒りは帯びていた。
言わないと決めた泣き言を言ったくせにおおよそ次のような返答をした。

「自分を変えるか周りを変えるか。僕は自分を変える方が早いと思って適応しようとしたけど、いくらなんでも無理です。
中堅クラスの人でさえ疲弊して離職しちゃう環境なのに、
何でいっつも2年目社員だからって仕事の姿勢とか能力とか個人性の問題に括られちゃうんですかね。環境やそういったことが起こる仕組みは責めずに。半年以上も踏ん張ってきたのに。僕はそういうアドバイスを沢山もらったけれど、結局はみんなにそういうことを言われてしまう。あなたもその1人です。」

文字にすると女々しさと余裕のなさが酷い(汗)
彼女は次のようなことを言った。

「言い方が悪くてごめんなさい。自分で変わる=適応する、という意味だけじゃない。環境を変える(転職する)のも結局はあなただから、どこかで区切りをつけることをしなきゃいけない。その必要があると言いたかった。」

上司からの叱責から自分を守るためなのか、
知らず知らずのうちに認知バイアスが酷くなってい
た。
「能力向上論」と決めてかかって怒ってしまったことに申し訳なくなり、彼女に謝った。

彼女は「今のところで耐えてたことも、いつかきっと君のためになるし、いつか笑って話せる日が来るはずだよ。」と言ってくれた。
女々しい僕は少し泣いてしまった。久しぶりに感情を出せた気がした。

その後、退職後にやりたいことを彼女と話した。
来年の誕生日は無職で迎えてやる!と宣言し、
彼女に別れの挨拶をした。




※1 敢えて詳細には書きませんが、大げさでなく精神的な助けとなってます。実家の悩みを話せる場所はずっとここだけだった。